2008年04月09日

blogを引っ越しました。

セキュリティ機能の充実したFC2blogに引っ越しました。
最新記事はこちらからご覧ください。
このblogは今後更新されなくなりますので、ご了承ください。
記事は残しておきます。
posted by しろ at 19:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2008年04月08日

「会話」と「独り言」の切り換えポイント

誰かと話をしているとき、話し相手の発言が途中から独り言になってしまうことがあると思います。

例:
A「○○は××だよね」
B「そうそう、そうだよね」
A「でもさー、△△ってこともあるよね……」(←この部分)

AはBに対して特に感想を求めたわけではなく、ただ思ったことをぽつっと言っただけであって、Bが反応してもしなくてもよい、という場合です。例が分かりにくくてすみません。

私は、こういう会話のときに「いつ独り言に切り替わったのか」がわかりません。それで、普通に返事をしてしまって相手を困惑させます。返事をするどころか、相手の「独り言」について詳細に突っ込みを入れて相手を困らせることすらあります。相手は独り言のつもりなので、誰かが聞いて理解できるような発言はしないようなのですが、そのせいで私にとっては謎だらけの発言に聞こえてしまい、質問せずにいられなくなるのです。

これがASのせいなのかそうでないのか、私には良くわかりませんが、親には「変だ」と指摘されたので、一応ASカテゴリに入れておきます。

親によると、定型発達の人は「自分と関係ない話は聞き流せる」らしいです。「自分とは関係ない」という判断をどうやって行っているのかよく分からないのですが、適当に相槌をうちながら聞き流すことができるらしいです。父もよく母の話を聞き流していて、「お父さん聞いてるの?」と言われて「俺に言ってたのか!」なんて返事をしていることがあります。

ですが、私はどうもこの「聞き流す」という技術が不足しているようで(「聞き逃す」、「聞き漏らす」あるいは「聞き取れない」ということならあるのですが)、相手が誰に対して話しているのか良く分からず、「自分に対して話しかけている」と思い込んで返事をしてしまうことが頻繁にあります。大勢に対する発言であっても私が個人的に返事をしてしまうこともあり、授業中などには結構苦労します。これは特に小中学生のころに顕著で、先生の雑談に大きな声で返事をしてしまって目立ち、いじめられるということが何度もありました。大学の頃には、「授業中の先生には返事をしてはいけない」と学んだので、こういう現象はなくなりましたが……。

全ての発言を真面目に聞いてしまうので、ゼミで他分野の人が理解不能な話をしているときにも頑張って聞いてしまい、非常に強いストレスになります。

「自分にとって不必要な発言を聞き分け、それを聞き流す技術」というものを身につけたいのですが、これ、どうやったら身につくんでしょうね?
posted by しろ at 21:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 私のAS

2008年03月30日

実験してました&就職活動開始

しばらく更新もコメントの返信もできずにいて申し訳ございませんでした。前回の更新内容が内容だけに、大変ご心配をおかけ致しました。

実はですね、更新できずにいた理由は前回の更新内容とは全く関係なく、単にとある実験をしていただけなのです。

どういう実験かといいますと、週5日通うために生活を調整する実験です。私は後期中は週3日くらいの登校が限界で、5日間通うことはどうしても精神的・肉体的に辛くてできなかったのです(大学は土日はお休みです)。ところが、最近疲れがたまっているのか、夜は早く眠くなってしまうことが多かったため、いっそ友人と遊ぶ約束などを全部断って徹底的に早寝をしてみたら、週5日間登校できるのではないかと思ったわけです。

というわけで、夜は20時〜遅くても23時までには布団に入る生活にしました。無理やりそういう生活にしたというよりは、その時間帯に眠くなることが非常に多かったため、無理して起きていずに素直に寝ることにしたというのが正しいです。睡眠の妨げにならないように、夜はPCを使わないことを基本としました。

そうしたところ、寝つくのは22時〜0時、起床は6〜7時で安定し、週5日間の連続登校が実現しました。さすがに木〜金曜あたりになってくると疲れてきますが、それでも支障なく外出できました。思えば、大学4年の終盤も不調で休みがちだったので、2年ぶりくらいの快挙です。早寝すると精神的な調子も良く、週5日間大学に通えることで充実感もあります。2月下旬〜3月上旬まで、精神科医の勧めに従って食事や睡眠の時間に縛られない自由な時間で生活してみていたのですが、そのときはとんでもない不規則な生活時間になってしまい、精神的な負担が大きかったです。でも今の早寝・早め起きの生活はとても快適なので、これからも続けていきたいと思います。

あとはこの生活を続けて、週5日間登校する生活が当たり前になれば良いのですが、この生活を続けるとなると、平日は必然的に余暇や娯楽に使う時間が減ります。学校から帰る時間が遅かった場合、平日はメールの確認すらできません……。今、AS関係で読みかけの本があるのですが、今週は1ページも進みませんでした。このblogの更新も、短くて1時間、長いと3時間くらいかかってしまうので、頻繁には更新できないことになります。書こうと思うネタはいくつかあるのですが、じっくりまとめている時間が取れません。某SNSの日記にメモ程度には書き留めてありますが、blogに書くときにはもう少ししっかりと考察を加えたいのです。そういうわけで、このblogの更新頻度は今後も低いと思います。ご了承ください。


さて、今週は就職活動も開始しました。今月に入って、また博士課程に進学するのが嫌で嫌でたまらなくなったため、発達障害の主治医に相談に行ったり、教授に相談したり、母と何度ももめたりしたのですが、結局1ヶ月くらいかかって母を説き伏せることができたので、心置きなく就職活動をし始めたというわけです。まだ主治医や教授や父は難色を示していますが、母は就職に反対することを諦めたようで、就職活動を前向きに応援してくれています。発達障害者支援センターにも相談に行こうと思っていたのですが、予約を取ったところ日程が来月になってしまったので、来月行くことにします。

現在のところ、2社だけエントリーしています。病院を変わりたくないので、地元に就職先を探すことにしました。地元で、大学で学んだことを生かせる会社で、かつ大学院生を受け入れる会社は3社しかなく、そのうちの2社です。全国的に見ると修士卒のほうが就職に有利なのですが(※理系の場合です。文系の場合は大学院に行く意味があまりないという噂を聞くので、不利になるのかもしれません)、地元は田舎なので、学部卒で就職している人が多く、会社のほうも修士卒の学生はあまり取らないみたいです。業務内容も雇用条件も大変理想的な会社が1社あり、そこが本命です。明日はその会社の見学会に行ってきます。

学部3年のときに一時的に就職活動はしていて、何社かエントリーはしていたのですが、採用試験を受けるところまで行く前に進学に進路を決めてしまったため、就職活動に関して詳しいことがよく分かりません。履歴書はインターンシップのときと就職指導のときに2回書いたのですが、それも3年前の経験なので、大手企業出身である教授に履歴書の内容を添削してもらうことにしました……。3年のときの就職活動の名残で、大学で発行した就職ガイドブックも持っているのですが、それも3年前の本なので少々心配です。就職活動支援サイトを見る限りでは、3年前に得た情報と大差ないようなので、問題なかろうとは思うのですが……。どうやったら採用試験を受けられるのかという基本的なところから分からないので、就職活動を頑張っている同学年の人たちの助けを借りつつ頑張りたいと思います。

ところで、就職ガイドブックを見ていて疑問に思ったのですが、「ナチュラルメイク」ってなぜするのでしょうか。そんなに自然に見せたいのなら、化粧をしなければいいのではないかと思うのですが……。とても不思議です。化粧をすることは最低限のマナーだとか聞いたことがあるのですが、どうして女性だけ化粧が必須なのでしょうね。そんなに素顔を見せるのがまずいなら、男性も化粧をすればいいじゃないかと思います(笑)。どうして女性だけ素顔を見せられないんでしょうね。
posted by しろ at 13:32 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月15日

私に対する中傷紛いの批判について

当blogのURLがmixiの某コミュニティに無断掲載されており、そちらからお越しになった方がいらっしゃると思います。URLは私への中傷と取れる批判とともに書き込まれていましたが、その中に明らかな誤解が含まれていました。誤解をそのまま放置するのは不本意ですので、問題の部分を訂正させていただきます。

なお、mixiの該当書き込みのスクリーンショットは以下です。クリックで拡大されます。
mixiの中傷書き込み

批判を書き込んだ人物は「しろは高額な学費を全て親に負担させようとしている」と思い込んでいるようですが、事実は全くの逆です。私は、学部入学当初の学費から、大学院の学費に至るまで、親には一円も負担してもらっていません。全て奨学金でまかなっています。もちろん、私はその奨学金を全額自分で返却するつもりです。親に学費を負担してもらうことは、私のプライドが許さないのです。

奨学金を自力で全額返還するためには、何年も継続して仕事を続けられる状態まで自分を回復させる必要があるというのが、主治医と母の共通見解です。回復しきらない状態で迅速な進学を選ぶか、博士課程に進学して社会に出る準備を整えつつ回復を待つかという点で、現在の私の進路希望は揺れています。就職口を狭めてまで博士課程に進むことが、私にとって得策とはどうしても思えず、主治医及び母と、私との意見は現在対立している状態です。主治医と母は、博士課程進学を強く勧めていますが、私は今現在就職したいという衝動に駆られており、一度は決まった博士課程進学という進路を撤回しようかと悩んでいる最中です。

また、以前、2月下旬の2週間は好きなことをやって休養を取ることを選択しましたが、そのことは臨床心理士に「120点の選択」と言われました。しかし、その私の選択に関しても、私に対する批判では「しろの思い込み」と書かれています。ですが、私が2月下旬の2週間を「好きなことをやって過ごす」と決めたのは、臨床心理士に絶賛された選択だったのです。もちろん、単に遊んで過ごしたわけではありません。遊びながら、上手な休養の取り方を学ぶというのが目的でありました。完全に疲れてしまってから休むのではなく、一定時間ごとに休息を取る練習をする目的で「好きなことをやりながら過ごしてみて」と言われたのです。休養の取り方のトレーニングの一環でありました。

また「休学を繰り返している」と書かれていましたが、私が休学したのはたったの1年で、1回きりです。著しい精神的不調に襲われたため、やむを得ず休学いたしました。

ここまで訂正させていただいたように、この度の書き込みには書き込んだ人物の思い込みが多く見受けられたため、大変遺憾に思っております。

今回の一件で、アスペルガー症候群の人は、私のように恵まれた環境で生活している人ばかりではないのだ、ということが分かりました。

まぁ、こんなことを気にしていても仕方がないので、本日書こうと思っていた内容を書いておきます。

14日の昼、発達障害専門医に就職について相談して参りましたが、就職を先送りさせたほうが良いという理由をより具体的に説明してもらうことができました。修士卒で就職をすることを反対される理由については、後日改めて記事にします。

また、同日、障害学の研究をしていらっしゃる先生と研究テーマ等について相談して参りました。現在、既に研究テーマは決まっているのですが、その他に別途自閉症者支援に関する研究テーマを一緒に考えるお時間をいただけました。参考文献も数冊貸していただくことができ、大変有意義な時間を過ごすことができました。お忙しい中、私のために長い時間を割いてくださった准教授には感謝の念が尽きません。今後、ますます研究活動が楽しくなりそうです。
posted by しろ at 04:39 | Comment(8) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月10日

講演会のアンケート結果をいただきました

今回はまとまりのない日記です。

去る2月2日の講演会にて、会場にお越し下さった皆様にアンケートをお願いしていたのですが、その集計結果を3月7日の自閉症協会の茶話会にて会長からいただきました。講演会の開催場所や開催回数、日時などに対する意見が結構あり、熱心に聞いてくださってる方が多いんだなと実感しました。

講演会の第一部では、発達障害者支援センターの方が自閉症とはどんなものかについての講演をされたんですが、そちらに対するコメントよりも、第二部で話した私に対するコメントのほうが多くて驚きました。発達障害の主治医には「否定的なコメントをもらうこともあり、アスペルガー症候群の人はいちいち真に受けがちだから注意するように」と伝えられていたのですが、今回は幸運にも(?)肯定的なコメントばかりで、嬉しかったです。

支援者の方および支援者志望の方が10人弱お越しになっていたようなのですが、具体的な話だったので役立った、参考になったという意見があり、講演に参加させてもらって良かったと思いました。自閉症当事者の保護者の方も多数参加されていましたが、私の話がお子さんと接するときのヒントになると仰っていただけて、自分のしていることが無駄でないんだと実感できました。

私の地元の自閉症協会は、元々自閉症の子供を持つ親の会だったらしく、母親の会員が非常に多いです。茶話会にお越しになっていた方も、知的障害を伴った自閉症のお子さんがいるお母様方がほとんどでした。私は母と一緒に参加したのですが、知的障害を伴わない自閉症の家のやり取りというのは、知的障害を伴った自閉症の家にとって参考になるらしいです。茶話会ではなぜか私の母が主に話していたのですが、皆さんは真剣に話を聞いて下さっていました。「どんなエピソードでも参考になる」と仰っている方もいらっしゃって、私と母は意外に思っていました。

アンケート結果は母も見たのですが、母は私が話したことに対するコメントを見て、涙が出そうになったと言っていました。「大変貴重な話だった」「勉強になった」「当事者の気持ちを聞く機会はなかなかない」等というコメントがほとんどだったのですが、私が話した内容の中には我が家にとっては日常茶飯事の出来事もあったので、母は「世の中には自閉症に関する情報がなんと少ないんだろう」と泣けてきたそうです。

第一部でお話された発達障害者支援センターの方も、事前の打ち合わせの際に「当事者のお話はどんな内容であっても価値がある」と話していらっしゃったのですが、そのときは私にはピンと来ませんでした。価値がある情報とない情報があって当然だと思っていましたし、当事者の話にはそれほど大きな価値があるとは思っていなかったのです。ところが、アンケート結果では私の話は有益であったというコメントばかりでした。わざわざコメントを残そうと思われるくらいですから、よほど心に残ったのだろうと思いますが、20件も肯定的なコメントをいただけて驚いてしまいました。茶話会でも、たまたま知的障害を伴った自閉症の方のお母様が多かったせいもあってか、私や母の話す些細なエピソードも皆さんは真剣に聞いていらっしゃりました。お母様方のご意見や、アンケート結果のコメントなどを見ていて、知的障害を伴った自閉症者と関わる方は特に情報の乏しさに苦労しているのだということが分かり、何とも言えない気分になりました。

知的障害を伴う自閉症者の保護者の方や、支援者の方は、さぞかし苦労していらっしゃることと思います。どれほどの苦労をしていらっしゃるのか、想像がつきません。知的障害がない、高機能自閉症やアスペルガー症候群の人間と接するのも大変であるはずなのに、知的障害があって言葉を上手く使うことができない人が相手だったら想像を絶する苦労があるだろうと思うのです。それに、周りの人も大変だろうと思いますが、知的障害を伴う自閉症当事者の方は周りに気持ちを上手く伝えることもできないでしょうから、本当に辛いだろうと思います。当事者の方の苦労も本当に想像がつきません。自閉症者を支援して下さる方は、保護者の方を含めて、本当にありがたい存在であると実感しました。感謝してもしてもしきれないくらいありがたい存在です。こういう素晴らしい方々と出会うことができただけでも、生きていてよかったと思いました。

と、ここまで書いていたら突然母に礼を言いたくなり、とりあえず「育ててくれてありがとう」と言ってきました。早く就職して両親に恩返しがしたいものだと切実に思いました。ですが、私は月に2〜3回は「就職したい」と騒いでいるのですが、そのたびに母に反対されます。今回は私がなかなか引き下がらなかったため、母が理論立てて就職に反対する理由を教えてくれました。その理由のひとつが「まだ就職してやっていけるだけの能力が備わってないから」だそうです。発達障害の専門医も「アスペルガー症候群の人は社会に出る準備期間をなるべく長く取って、できるだけ社会に出るのを遅らせたほうがいい」と言っているのですが、私にはその理由がよく分かりません。でも、母は分かるそうです。私が物事の優先順位を上手くつけられないことは母にも分かるらしく、「それでは仕事をこなしていくことができない」と断言されてしまいました。詳しくはまた後日書こうと思います。

ところで最近、「自閉症に関わる活動をするのはとても楽しい」と思います。自閉症協会に入ってから講演を依頼されて実際に行ってきたり、自閉症協会主催の集まりに参加したり、自分のアスペルガー症候群について自分なりに分析した結果をこのblogに書き留めたりしていて、とても楽しいですし有意義だと思えます。なので最近は、大学や大学院で得た知識を生かして自閉症者の支援をすることを仕事にできないかと考えています。今の研究テーマも自閉症の特徴のひとつから考えついたものなのですが、自閉症支援に使うよりも、ロボットやゲームに搭載するほうが面白そうで実用的に見える研究テーマになってしまい、少し不満を持っています。でも、やっと仕事にしたいくらいにやりたいことが見つかり、少し安心しました。あとは、実現できるかどうかです。明日大学に行ったら先生方と相談して、障害者支援に力を入れている企業や研究所、障害者支援を目的とした研究などを探してみようと思います。身体障害者の支援のほうが多いように思いますが、精神障害者や自閉症者の支援を考えている研究ももしかしたらあるかもしれないので、少し調べてみます。幸いにも、私が通っている大学には障害学を研究していらっしゃる先生がいますので、相談をしてみたいと思います。
posted by しろ at 01:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記

2008年03月08日

自己診断は当てにならない

自閉症の特徴は遺伝するという説があります。もしそうだとしたら、両親にも思い当たる部分があるのかなと思い、先日、母に「アスペルガー症候群の特徴で当てはまると思うものはある?」と聞いてみました。そうしたところ、母は「ある」と答えたのです。なので「やっぱり両親に似たのかな?」と思ったのですが、その後の母の説明を聞くに、どうもそういうわけではないようです。

母は「言葉を文字通りに解釈してしまう」という特徴を例にして説明してくれました。母にとっての「文字通りの解釈」とは、例えば「相手の表情や声などから、そのまま受け取っても良さそうだと思った言葉をそのまま受け取る」ことや、「『今日のご飯何がいい?』と聞かれたとき、相手の内心でメニューが決まっている可能性があるとは思わず、『今日のメニューは全く何も決まっていない状態なんだな』と思って返答する」ことなのだそうです。こういう解釈の仕方が、母にとっての「文字通りの解釈」だそうです。「文字通りに解釈しても良さそうだと思ったときに、意図的に文字通りに受け取っている」ということですね。

ところが、自閉症スペクトラムの人間の「文字通りの解釈」とは、母が例に出した「文字通りの解釈」とは質が全く異なっています。誰かと話しているときには相手の発言を全部鵜呑みにしてしまうとか、「今日のご飯何がいい?」と聞かれたときに「ご飯=お米」と解釈して「コシヒカリ!」等と答えてしまう、というのが自閉症スペクトラムの人間の「文字通りの解釈」なのです。「文字通りに解釈してもよさそう」とかなんとか想像する余地はなく、意図が介在する余地もなく、とにかく全てをそのまんま受け取ってしまうわけです。本音と建前、冗談と本気の区別がつけられないとも言えます。

母の場合は、身近にアスペルガー症候群の実例である私がいるので、私を見ていると「やっぱり自分とは異質だ」と思うそうです。ですが、アスペルガー症候群の特徴について読んだ場合には、「自分の知っている言葉の理解の仕方で理解するために、当てはまるように思う箇所が結構ある」と言っていました。「文字通りの解釈」の例もそのひとつで、母にとっての「文字通りの解釈」は母が例に挙げたような内容であるため、「文字通りの解釈をしがちか」と問われたときには「はい」と答えてしまうことになるそうです。

このような内容を母から聞いて「やはり自己診断は当てにならないんだな」と思いました。自己診断では、診断に必要な項目を自分の理解できる範囲でしか理解できないからです。診断項目の具体例が自分の理解の及ばないところにあったとすると、当てはまると思っていても誤診になってしまう可能性は十分にあります。

というわけで、私は自己診断はお勧めしません。世の中には「病名等が確定するのが嫌で病院を受診しない」という人もいるようですが、私には理解不能です。私は診断を受けてはっきりさせるほうが良いと思っているので、自分に対してアスペルガー症候群や高機能自閉症の疑いを抱いている人は、専門医を受診したほうが良いと思います。そのほうが、どういう結果になろうともすっきりできると思うのです。

なお、どうしても自閉症スペクトラムについて自己診断したい場合には、アスペルガー症候群や自閉症の特徴一覧を見て自分に当てはまるものを探すより、「自閉症スペクトラム指数自己診断」というページを使ってみたほうがいいのではないかと思います。しきい値は33点で、33点以上であれば自閉症の疑いがあるそうです。

この自閉症スペクトラム指数は実際の医療現場でも使われているものなのではないかなぁと思うのですが、想像の域を出ません。発達障害のほうの主治医が書いて下さった私の診断書を盗み見たところ、「38点(33点以上ならアスペルガー症候群)」という内容の記述が見えたので、しきい値が同じということで、同じものを使っているのかもしれないと思ったのです。これはあくまでも私の想像ですので、事実と異なる可能性があることはご了承下さい。……でも、診断のために渡された性格診断テストの内容が「自閉症スペクトラム指数自己診断」と似ていたような気はします。よく覚えていませんが。

なお、私が「自閉症スペクトラム指数自己診断」を試してみた結果は、43点でした。試してみたのは2月17日です。得点の内訳は、
・社会的スキル10点
・注意の切り替え9点
・細部への注意9点
・コミュニケーション7点
・想像力8点
でした。なんと社会的スキルが満点です。私はよっぽど社会性に問題があるんでしょうか(このテストは得点が高いほど自閉症スペクトラムの度合いが強いと判断されます)。……まあ自己診断なので当てにならないのですが。

なお、「自閉症スペクトラム指数自己診断」のページに掲載されている論文によると、各項目の平均点は以下の通りになっています。
・社会的スキル:AS平均8.3点、定型発達平均3.65点
・注意の切り替え:AS平均7.9点、定型発達平均4.75点
・細部への注意:AS平均6.2点、定型発達平均4.85点
・コミュニケーション:AS平均8.2点、定型発達平均3.25点
・想像力:AS平均7.4点、定型発達平均3.2点
この論文では、ASと高機能自閉症の人を同一に扱っています。診断上信頼できるデータがなかったのでひとつの集団と扱ったそうです。

自己診断は当てにならないと書いておきながら、自己診断の方法を提示するのは何か変なような気がしますが、興味のある方はやってみて下さい。ただ、あくまでも自己診断ですので、結果の過信は禁物です。

(11時頃追記)
母に「自閉症スペクトラム指数自己診断」をやらせてみたら、合計13点でした。コミュニケーションが0点で、コミュニケーション能力がかなり高いことを窺わせる結果になっていました。やはり母は私とは質の異なる人間のようです(笑)。
posted by しろ at 06:58 | Comment(9) | TrackBack(0) | 日記

2008年02月27日

私は「説明がくどい」らしいです。

私はよく「説明がくどい」と言われます。(「分かりやすい」とも言われますが)

他の人が言うには、「そこまで説明しなくても分かりきってることまでくどくど説明している」のだそうです。文章においても同じことが言えるそうです。

が。それは「AS故のこだわり」とかではなく、「そこまで説明しないと私が自分で理解できない」のです。

このblogにも度々くどい文章を投稿していますが、くどいなぁと思いつつも、略すと私にとって意味不明になってしまうので略せず、結果的にくどい文章になってしまっているものが多いです。もっとすっきり書けたら良いのでしょうが、文才が足りなくてできません……。

私は物事を必要以上に噛み砕いて記憶していることがあるのですが、それも、そうしないと理解できないからです。高校の頃はときどきクラスメイトから数学の問題の解法を聞かれたりしたのですが、そういうときも「丁寧で分かりやすい」と言われていました。これも、省略できないせいだと思います。余談ですが、数学のことについて聞かれるのは、数学が嫌いなので内心辟易していました……。

以前にも「物事の重要なポイントとそうでないポイントの区別がつけにくい(優先順位がつけにくい)」というようなことを書いたと思うのですが、たぶん、これが「省略が苦手」ということにも繋がってくるのだと思います。上手に省略するということは、必要最低限の要点のみを抜粋して話が通じるように略すことができる、ということだと思うのです。私は要点の見極めが苦手なので、要点の抜粋も上手くできず、結果的に要点も要点でないこともだらだらと説明してしまって、くどく(あるいは丁寧に)なるんだと思います。

もうちょっと物事を簡潔に説明できるようになりたいものです。簡潔に、かつ分かりやすく、というのが理想ですねぇ。
posted by しろ at 21:11 | Comment(9) | TrackBack(0) | 私のAS

2008年02月24日

コメント欄に関してお詫びとお知らせ、そして余談

先日の記事に数回暴言が書き込まれましたが、そのコメントのために大変不快な思いをされた方がいらっしゃるようで、大変申し訳ございませんでした。速やかに削除しておくべきであったと反省しております。

現在は該当コメントは削除してあります。閲覧者の皆様にご迷惑をおかけし、大変申し訳ございませんでした。

今後は、荒らしと見なされるコメントは発見次第削除していこうと思います。荒らし同然のコメントには返信なされないようお願いします。blogのコメント欄で喧嘩になるのは私も嫌ですので……。

また、本日、該当コメントの投稿者と同一人物と思われる人物からmixi経由で暴言コメントと同様の内容のメッセージが来ました。捨てアカウントを取り、メッセージを送って即退会した模様です。このようなモチベーションを他のことに活かせないのかと疑問に思います。どう考えても、人生を無駄に過ごしているのは向こうのほうです。私のような一介の市民に粘着と言えるほどつきまとって、いったい何が楽しいのでしょうか。全く理解できません。よほどお暇な人生を送っていらっしゃるのでしょうか。

閲覧者の皆様との接点になればと思い、mixiのプロフィールのページへのリンクを掲載してありましたが、このような不快な思いを二度としたくありませんので、mixiのプロフィールページへのリンクを削除させていただきました。ご了承ください。(捨てアカウントでのメッセージとなるとアクセス制限もかけられませんし、元々mixiからこのblogを見に来た方かもしれませんので、これで解決できる保証はありませんが)

今回の暴言コメントの一件は、捨てアカウントでのメッセージ送信や、実質的に匿名と言えるblogへのコメントでのみの接触ということから、荒らしの自覚を持って行っている行動と判断しました。私と話し合いたいのではなく、自分の意見を押しつけたいだけのようですので、私も聞き入れるつもりはありません。

既に愚痴まじりとなってしまっていて恐縮ですが、ここから更に愚痴混じりの余談になりますので、興味のある方のみ続きをご覧ください。私の進路決定の理由や主治医に関してのこと、私に適していると言われている職、今後やろうと思っている活動などについて書いてあります。続きを読む
posted by しろ at 05:28 | Comment(10) | TrackBack(0) | 日記

2008年02月21日

日本人は空気の読みすぎ?

以前、母が「ラジオで聞いたんだけど、『日本人は空気を読みすぎていて、自分というものを表に出せなくなっている』って言ってたよ」と言っていました。私はラジオやテレビの音声が非常に苦手で、滅多に視聴しないのですが、母はラジオを好んで聞きます。そして、たまたま聞いていた番組の中で、たまたまそういうコメントがあったのだそうです。

日本人は空気の読みすぎ。
この言葉が意味するところは何でしょうか。

以前、私が友人を上手く気遣えなかったことについて当blogに記事を書いたところ、在米の方から「日本の気遣いは、こちらでは過剰な反応と思われがちです」とコメントをいただいたことがあります。だとすると、もしかしたら、ある種非常にドライな自閉症スペクトラムの人間は、アメリカだと生きやすいのかもしれませんね。

「自閉症スペクトラムの人間は空気が読めない」と言われますが、これは日本の場合ですよね。海外の自閉症スペクトラムの人の場合はどうなんでしょう。洋書を翻訳した本は表現が複雑で苦手なのですが、海外の自閉症スペクトラム当事者の本の翻訳書が数冊出ていたと思いますので、いつか読んでみたいと思います。

もはや恒例ですが、話が脱線しましたので元に戻します。「空気の読みすぎ」……このあとに続いた言葉から考えるに、これは「他者の顔色を窺いすぎて、自己主張ができなくなっている」ということでしょうか。日本人は流行に流されやすく没個性的だという意見がありますが、それが思考にも反映されたものなんでしょうか。

常に他者の顔色を窺って、無難な行動ばかりする。
自分を押し殺し、当たり障りのない行動ばかりする。
それが「空気の読みすぎ」だということだとしたら?

これはもう、発達障害だの、定型発達だのという問題ではない気がします。発達障害の有無を問わず、非常に生きにくい環境に思われて仕方がありません。さぞかしストレスがたまるでしょう。

ましてや、今は「空気が読めない」という言葉が流行語、流行の概念になっています。人は誰でも疎外されるのは嫌がるものです。だから、疎外されないように何とか周りと順応しようとするのでしょう。「お前空気読めないな」と叩かれないように、必死になって相手を気遣ったり、自分を押し殺したりするのでしょう。

なんと恐ろしい社会でしょうか。

「空気を読む」という概念が強くなりすぎて、個性を失う日本人。その一方で、教育現場では「個性を尊重した教育を」と叫ばれているらしいですね。このような環境で、果たして個性は尊重されることができるのでしょうか?

ここまで書いておいてなんですが、これはラジオのコメントを母に又聞きしたものに対して考察を加えているものですので、このコメントを仰った方の真意は分かりません。ですが、日頃から私は自分が空気を読めない人間であることを自覚していますので、この上で「日本人は空気の読みすぎ」などと言われてしまい、途方に暮れてしまったのです。私はただでさえ空気が読めないのに、周りの人は「読みすぎ」と言われるほど空気を読んでいるなんて……と。最初は「なんて自分にとって暮らしにくい社会になったんだろう」と思ったものでしたが、よくよく考えてみると、暮らしにくいのは私だけでなく、周りの日本人全員の気がします。

自分が思ったことを正直に言葉に出せないのは、非常に苦痛なことだと思います。これは私が思ったことを口に出さないと気が済まない性質であるのと同時に、他者の本音を察することが困難な性質であるから思うことです。一応何かしら察しようとは試みるのですが、全く何も察することができないこともあれば、大いに誤解していることもあるのです。私にとっては、どんなマイナスの本音であっても、言ってもらったほうが隠されるより楽です。

ところが、日本社会は本音と建前を上手く使い分ける社会です。その上に「空気の読みすぎ」が加わると、定型発達の人ですら息苦しさを感じるのではないでしょうか? ましてや、自閉症スペクトラムの人間は……。考えるだけで気疲れしてきます。

しかし、そういう社会になってしまったものは、もう容易には変わりません。やっぱり順応していくしかないんでしょうね……。

それにしても、「個性」が無くなる社会というのは本当に恐ろしいものだと思います。もっと堂々と自己主張ができる社会だったらいいんですけどね……。ちょっと目立っただけで「生意気だ」っていじめられたりしてしまいますからね……(体験談です)。

うーん。もっと短く簡潔な内容にしようと思っていたんですが、ダラダラと長くなってしまいました。
タグ:KY 空気読め
posted by しろ at 21:58 | Comment(13) | TrackBack(0) | 日記

2008年02月14日

声のトーンの使い方講座?

先日、母にとあるニュースの話題を振られた際に、「その話はわからないからいい」と断りました。そうしたら、母はしばらく黙っていました。話がそれで終わったのだと思ってぼーっとしていたら、母が突然「他の人にもそういう言い方をするの?」と私に尋ねました。トゲがある言い方だったと言いたいのだろうと思い、その自覚はあったので、私は「他の人相手だったらもうちょっと違う断り方をする」と答えました。そうしたら、母は「そっか」と言って、またしばらく考え込んでいました。そして、少しあとに母が「『もうわかったからいい』じゃなくて、『その話は分かってるからもういいよ』って言ったほうがいい」と言ったのです。

母の発言の意味がわかりませんでした。

「もうわかったからいい」と「その話は分かってるからもういいよ」。どう聞いても同じ意味です。前者の言い方で何が悪いのか、後者の言い方だとどのように良いというのかがさっぱりわからず、私は「何が違うのかわからない」と答えました。

「わからない」と言う私に、母は何度も二つの言葉を繰り返してくれました。言い方は変えず、同じ言葉で数回繰り返してくれました。たぶん「言い方を変えられると話がわからなくなる」と言ったためだと思います。この点は母に感謝です。

そして、何度も繰り返してくれる母の言葉を聞いているうちに、私はあることに気づいたのです。というより、「何が違うんだろう?」と思いながら、真剣に何度も繰り返し聞くまで分からなかったのですが……。

何が違ったのか。それは、声のトーンです。音声ではお伝えできませんので想像していただくしかありませんが、母は、以下のような感じで話していました。

 「もうわかったからいい!」(強く、きっぱり、言い捨てるように)
 「その話は分かってるからもういいよ」(やさしく、やんわりと)

私が「もういい」と言うときの言い方は、前者のような言い捨てるような言い方なのだそうです。自覚はありません。私は、自分の声のトーンが他の人にどういう印象を与えるのかがよく分からないのです。ですが、その言い方だと相手が拒絶されているように感じるそうです。つまり、不快感を与える話し方をしているというわけです。母は、そういう不快感を与える話し方でなく、やんわりと断る声の使い方を私に教えようとしたのです。この点を、私は母に大いに感謝しなければならないと思っています。お母さん、ありがとう。

ですが。感謝するのと、教えてもらったことが身につくのとは、話が別なのです……。

先に述べたように、私は自分の声のトーンが相手にどんな印象を与えるかを想像するのが苦手です。優しい声遣い(敢えて「言葉遣い」とは書きません)をすることはできると思うのですが、どういう風に話したらそういう印象を与えるのかが、よく分かりません。その分、感情がはっきり声に出てしまうので、「つまらないなぁ」と思いながら発した声には、たぶん「つまらないなぁ」という思いが乗っかっていると思います。自分の声を他人として聞くことはできませんので、断言はできませんが……。

そして私は、自分の行動などが他人に与える印象を想像するときは、自分がどう思っているかを基準にしています。自分が楽しいときは、たぶん楽しそうな印象を与えるだろう。自分が嫌がっているときは、たぶん嫌がっている印象を与えるだろう。自分が退屈しているときは、たぶん退屈しているという印象を与えるだろう。そういう風に勝手に思っています。ある意味では非常に自分本位な想像の仕方で、また「他人が自分の感情を正確に察してくれることを前提としている」という問題点があります。

声のトーンを上手に使えない、というより「意識して声のトーンを変える」ということをやったことがない私には、自分の感情を正確に察知してもらえず、怒っていないのに怒っていると思われて本当に怒ってしまったことが何度かあります。気になることがあると詰問調で「なんで? なんで?」とやってしまうので、「怒った口調の『なんで?』は理由を聞きたいわけではない」と理解しているらしい(?)定型発達の皆さんは、私に理由を説明せずに「ごめんね」と謝ってしまうのです。私にとっては、理由を聞きたいのに謝られるばかりで、肝心の理由は全然説明してもらえないという状態です。とてもイライラします。ですから余計に「なんで?」と問う言葉が強くなります。すると相手は私がますます怒っていると思うらしいです。こういう悪循環のトラブルが何度か起こったことがありました。相手は友人などです。

もう一つ、面白いと思った例があります。先日、とある准教授の研究発表の中に「人工内耳を装用した子供は、声から感情を察知できるか」という実験の結果が出ていました。対象は児童で、意味的には無感情な文章を「うれしい」「悲しい」「怒っている」の3種類の感情を込めて読み上げたものを聞かせて、どの感情に該当するかを選んでもらうという実験でした。結果は健聴者(聴覚に障害がない子供)と人工内耳を装用した子供の結果を比較したものになっていました。実験で使った音声のサンプルとして、准教授が「電気をつけます」という文章の3種類の感情のパターンを発表中に聞かせてくれました。「うれしい」「悲しい」「怒っている」の順に流されたのですが、私には「うれしい」と「怒っている」の区別がつきませんでした。そしてなんと、健聴者は正解率100%だったのに、人工内耳装用者は「うれしい」と「怒っている」を間違える率が高かったというのです。准教授は「声の強弱のつけ方が似ているからだと思う」と説明していましたが、私も似たような認識の仕方をしているんでしょうか。実験に参加した健聴者の中に、自閉症スペクトラムの子供が混ざっていなくてよかったな、と思いました(笑)。

話がかなり脱線したように思いますので元に戻しますが、前のほうで私は「意識して声のトーンを変えたことがない」と書きました。実は、これは嘘です。以前オーストラリアに語学研修に行った際、「演技」として「幸せそうに」「悲しそうに」と指示されて実行しました。悲しそうな言い方は上手かったらしいです。ですが、あくまでそれは「演技」でした。「こうしろ」と指示があってのことでした。そして、「幸せそう」なほうはともかく、「悲しそう」なほうは「泣いてるような声にすればいいかな」とわかったのでなんとかできたのです。怒っている声、というのもたぶんできると思います。よく聞く、あるいはよく話す声のトーンならば、意識すれば使うことができます。しかし、日常生活の上で、「こういうときはこういう声遣いがよさそう」と自分で判断し、使うということは困難です。「どんな声で話せばいいか」という指標が、まず必要なのです。

他人の声のトーンの意味を理解しにくいことは、「言葉通りの理解をする」というASの特徴に当てはまると思います。ですが、最近私は「ASの人は『言葉通りの理解をする』のではなく、『言葉優先の理解をする』のではないか」と思っています。定型発達の人は、声のトーンを含めたさまざまなボディランゲージを言葉と同時に理解できるようですが、少なくとも私の場合は、先に言葉の意味を理解してからボディランゲージの理解に移っているような気がします。たぶん、ボディランゲージを全く理解していないわけではないのです。言葉の意味を理解したあと、ボディランゲージの理解へ進むときと進まないときがあるだけだと思います。そして、言葉の意味を理解した時点で理解が止まってしまうことが多いのかもしれません。もちろん、ボディランゲージを誤解する例もあると思いますが……。

私の今後の課題のひとつは、適切な声のトーンを使えるようになることかもしれません。それ以前に、話し相手の声のトーンの意味合いを100%理解できなくては話にならない気もしますので、しばらくは声のトーンを意識して会話してみようかと思います。……会話の内容が頭に入ってこないかもしれません(笑)。
posted by しろ at 19:29 | Comment(14) | TrackBack(0) | 私のAS

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