ASの人は、他の人に「薄情だ」とか「冷血だ」という印象を与えることが多いようです。
が、狸穴猫さんが書いていらっしゃることとも関連するのですが、ASだからって別に情がないわけではないんです。単に、定型発達の人が情を示してほしいと思うときに情を示すことができないだけです。言われた言葉を言われた通りに解釈して、感情面に配慮せずに返答するから、定型発達の人から見ると「薄情」というふうに見えるのだと思います。
私と母の例で言えば、
母「疲れた」
私「寝れば?」
母「頭痛い」
私「薬飲めば?」
母「忙しい」
私「仕事減らせば?」
こんな感じです。
こういうとき「大丈夫?」と声をかければ、「うん、なんとか」等と会話が続くそうなのですが、私のような返事の仕方だと、母は「言ってることは正しいんだけど、会話が止まってしまう」と言っていました。
会話が止まってしまうとどういう不都合があるのか、私には分からないのですが、定型発達の人々はこういう雑談を好むようです。私は用件がなくては人に話しかけることができないので、雑談というものが非常に苦手なのですが、定型発達の方は特に用事がなくても話ができるようなので、いつも「すごいなぁ」と思って見ています。
私にしてみれば、いちいち「疲れた」「忙しい」等と言うくらいならさっさと寝ちゃえばいいのに、と思うのですが、定型発達の人がそういう言葉を言うときは、誰かに気遣いを表現してほしいということなんでしょうか。
私も「忙しい」とか「疲れた」とか言うことはありますが、そこで「大丈夫?」と言われても返事のしようがなくて困ってしまうことがあります。大丈夫じゃないから疲れたと言っているのに、大丈夫と聞かれても……と悩みます。
他にも、中学のときのクラスメイトとの会話でこんなものがありました。
私「お腹痛い」
クラスメイト「大丈夫? 保健室行ったら?」
私「行って治るもんなら行ってるよ」
クラスメイト「そんな言い方ないでしょ!?」
私はクラスメイトがなぜ怒ったのか、当時は全く分かりませんでした。今は分かります。せっかく気づかったのに、私が「冷たい返答」をしたからでしょう。でも、確かに保健室に行ったって腹痛は治らないのです。だから私はそれをそのまま口に出しました。それが問題発言だということを、当時は全く知りませんでした。
上の例の理想的な返答は、「ありがとう、でももうちょっと様子見てみる」というような感じでしょうか。
私は誰かが「疲れた」「忙しい」等と言っているときには「大丈夫?」「お疲れさま」などと声をかければいいことは学習したのですが、それを他の例に反映することができません。応用力がないんでしょうか。考えてみれば、前回の記事もその応用だったように思うんですが、できませんでした。
私は感情の表現が下手、というかやり方が分からないのかもしれません。適切な表現の仕方とか、適切な表現のタイミングとかが分からないのかもしれません。でも、人間ですので感情はあります。それを伝えるのが、とても下手なだけなのです。
2007年12月24日
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定型発達者は感情への対応優先の会話を好む
Excerpt: アスペルガー者と定型発達者では基本的な会話の指向性が違うのではないかと私は思う。さて、「他者と私とAS(アスペルガー症候群)」のしろさんがお母様と会話が続かないとい...
Weblog: アスペルガーライフblog
Tracked: 2007-12-26 12:30
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定型発達者は感情への対応優先の会話を好む
Excerpt: アスペルガー者と定型発達者では基本的な会話の指向性が違うのではないかと私は思う。さて、「他者と私とAS(アスペルガー症候群)」のしろさんがお母様と会話が続かないとい...
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Tracked: 2007-12-26 12:30

アスペルガー者の特徴に関する情報は多々あっても、定型発達者の特徴に関する情報は出回ってませんから。
それもなにぶん、定型発達者の無意識にあることなんでこっちで掘り出してまとめておくしかないってのが難点なんですが…。
僕も雑談が苦手なんですよ。
医者からSSTが必要ですなんていう話があったんですが、こういうやりとりの訓練こそ私達に必要なのかもしれません。
しろさんの過去の記事などを拝見しました。しろさんの経験したことと僕の経験したことが非常に似ていて同じようなことで苦しんできたんだなって思います。
世の中の情報は定型発達の方から見た情報ばっかりなんですよね。そのほうが多数派なので、仕方ないのかもしれませんけど。
「ちょっと変わった人たち」とASが紹介されるのと同様に、「普通の人たち」と多数派の人たちを紹介する本やサイトが欲しいです(笑)
>K.Sさん
「日常的な会話のやりとりの練習」なんて誰も付き合ってくれる人はいないでしょうね。自分でちょっとずつ体験しながら学習していくしかないんだと思います。
それにしても、やはり、ASなら誰でも通る道というものがあるのでしょうかね。他のASの人のサイトを見ていても、共感する部分がたくさんあって驚くことが有ります。
こういうのは、アスペルガーと分かってから具体的に
どう対処しようと自覚し始めるものなので、あまりに気分を落ち込ませすぎないほうが良い気がします。
私は、15歳ほどにしてアスペルガーに診断され、それから2年経ちましたが、やはりその二年間は、それまでの15年間よりも定型の人との付き合いについてよく考えるようになりました。
定型さんと接して関係が成り立つようにするには、勿論診断される時期にも度合いがよりますが、絶対に「慣れ」というのは必要だと思います。長い時間が経過すれば、定型の人に薄情とかは言われなくなるかもしれません。
初めまして、コメントありがとうございます。
私も定型の方々との付き合い方を考えるようになったのは、診断を受けてからでした。それまでは、「極めて普通の返答をしているのに相手が怒ったり悲しんだりする、なぜだろう?」と不思議に思うことしきりでした。
今は、結局、パターンごとに学習していって慣れるしかないんだなと思っています。二十代後半くらいにもなれば、定型発達の人と見分けがつかなくなるらしいですよ。
夫「泣くような内容なら 見ないで!」
深夜まで 家族の繕い物をしている私に対して
「。。。。」
夫は 無関心のまま 自分は映画に熱中。
こんな時は「大丈夫?」
と声をかけてもらいたいですよね!というか、そう、声をかけられるものだと ASの夫と暮らすまでは 信じきっていた私です。
そんな夫は高熱でうなされている私を 一度も看病したことがありません。
医師に相談すると メモして してもらいたいことを伝えるようにアドバイスもらいました。その医師ももた、ASだそうで、びっくりしました。 ASだけにASの気持ちがわかるんですね。
お返事が大変遅くなってしまって申し訳ございません。旦那様のお気持ちが、よく分かります。私は涙の意味を誤解した経験はあまりない(と思う)のですが、笑顔の意味を勘違いしたことならあります。苦笑が、快い笑顔に見えたことがあるのです。通常ならありえないことなのでしょうけど、私は勘違いしてしまったのですよね。
看病は、私も、母が具合悪そうにしていても、したことがないですね……。仕方が分からないというのと、何をしたらいいのか分からないということ、何が必要なのか分からないということで、心配していないわけではないのですが、看病ができなかったのです。
ドウドウさんのコメント内容をちらっと母に話してみましたら、「(ドウドウさんのお気持ちが)分かる! すごくよく分かる!」と盛り上がっていました(笑)。私の母によると、私と母も、ドウドウさんの旦那様とドウドウさんのような感じらしいです(笑)。