2007年12月31日

会話と感情の関係

私は「感情的」な会話が苦手です。

これは「感情を剥き出しにした会話」が苦手という意味ではなくて(いやそれも苦手なんですけどね)、狸穴猫さんが書いていらっしゃるような、感情面への対応を要する会話のことです。

例えば、大変そうな人に「大丈夫?」と声をかけたり、辛い目に遭った者同士で「大変だったね」と慰め合ったり、というような会話です。女脳の人はこういう会話が好きだとよく言われますが、私はそういう会話が非常に苦手で、そういう会話を強いられると負担になります。

脳の性別診断では私はほとんどの場合「男脳」と診断されるのですが、これは私の脳の性別が男性的なのではなく、アスペルガー症候群ゆえに女性脳的な会話が困難だということなのかな、と思います。でも、そうすると男脳の人はAS的な側面が強い人、ということにもなるような気がしますね。どこかでは「ASは男脳がいきすぎた状態」という説も目にしたことがありました。

さて、ちょっと話が変わります。私は、最近友人に「あなたの言動はとてもひどい。暴言を吐きたくなることすらある」と言われました。しかし、私にはそのような言動をした記憶も自覚も全くありません。ときどき喧嘩をする相手だったので、喧嘩中に言ったことならば納得できるのですが、具体例を出してもらえなかったので、どんな言動がまずかったのかが分かりませんでした。

そこで、その友人に「私は問題発言してても自覚がないことが多いから、どこが悪かったか教えて」と言ったところ、「怒ってるときに、そんなこといちいち説明できると思う?」との返事。言われてみれば、確かにそうです。でも言われてみるまで気づきませんでした。なので、とりあえず、私の問題発言で腹が立ったときは「今腹が立った」と言ってもらう、という約束をしました。そうすれば、どこが悪かったのか分からなかったとしても、何かが悪かったらしいことは分かるので、多少は勉強になるかと思ったのです。

私は、自分自身も誰かとの会話で笑ったり怒ったり悲しんだりする割に、自分の言動によって誰かが笑ったり怒ったり悲しんだりする、ということが想像しにくいようです。山岸さんがよく「自閉症者には想像力が無い」と書かれているのですが、それは「自分の行動によって他者がどう反応するのかが想像できない」という意味なのかもしれません。(もっと違う意味なのかもしれませんが……)

自分の言動で、自分がどう思うかは想像することができます。なので、自分が言われたくないことはあまり他人に言わないのですが、その「自分が言われたくないこと」がそもそも「定型発達の人が言われたくないこと」とずれているようなので、結果として私は「気遣いが欠けた人」になってしまうようです。

私は私なりにいろいろと気をつかって話しているつもりなのですが、それが全く通じていないようなので、悲しいです。例えば、ASかどうかの診断を受けるために発達障害の専門医を受診したときのことです。後日、私の幼児期の行動の聞き取りの際に母が医師にこう言われたそうです。

「しろさんは話し方がとてもゆっくりですね。少しずつ区切って話をしていましたが、普段からそうですか? それに、人と目を合わせることもあまりありませんね」

私は、医師と話をする際に、「カルテに書き込んでいる最中にいろいろ言われたら混乱するだろうから、書き終わってから続きを話そう」と思い、ずっと医師の手元(カルテ)を見ながら話をしていました。が、どうもそういう気遣いは無用だったようです。

こんなふうに、私の気遣いは空振りしてしまうことが多いようです。そして、問題ないと思っている言動が、問題発言だということも多々あるようです。親しいと思っている友人が、いつの間にか私を嫌って離れていってしまうのは、私が無自覚に問題発言をするからなのかもしれません。
posted by しろ at 10:03 | Comment(3) | TrackBack(0) | 私のAS
この記事へのコメント
ひとつ、参考にしてもらえたらよいかなと思って、書き込みをします。
カウンセリングの技法は、相手の感情の言葉に焦点を当て、相手が言ったとおりの感情の言葉を返すことで情緒的な交流をします。
私は、この方法によって、人と話をすることができるようになりました。
日常会話などは、いまだに苦手ですが、込みいた話など、感情が入ってくるような会話ができるようになりました。
今では、他の人よりも上手にできるようになっていると思っています。
訓練によってそうなったのです。
そんな難しいことをしなくても、相手の言葉の中の感情的な部分に焦点を当てることで交流は可能です。
これは、スキルと考えてもらった方がよいかも知れません。
お邪魔しました。
Posted by kyoto at 2007年12月31日 12:10
はじめまして。
私は、数週間前位からAS関連のサイトをよく覗くようになり
しろさんのサイトも見るようになった者です。
私は診断で99%ASじゃないかと医師から言われています。
(100%じゃないのは、私本人の面談と知能検査だけで
 親の面談をしていないから、断定はされていないのです)

ASをカミングアウトしている方の文章には
「偏屈さん」「論理的で堅い感じの人」「感情的な人」
「やたらと悲観的なことばかり書く人」
「ユーモアや空想力が豊かな人
 (そういうタイプがいるのに「想像力の障害」って
  いわれているのは、なんか違うように私は思う)」
など色々なタイプがいるように思ったのですが
しろさんの文章は、私には
思慮深くて、他者への思いやりもある文章のように感じました。

でも、お友達からはそうは思われていないのですね。

書く文章と、実際に会って話す時の言葉や口調や表情や態度が
そんなにも違うんでしょうか?
Posted by のら at 2007年12月31日 17:28
>kyotoさん
初めまして、コメントありがとうございます。

私は相手の感情が表れた言葉というのが、なかなか分からないんですよね。言葉の裏の意味を全然察することができないのです。

はっきりと「辛い」とか「悲しい」とか「楽しい」とか言ってもらえたら分かるんですけど、明言されていないと、分からないことが多いです。

でもkyotoさんの仰る方法は良い方法だと思いますので、人と話をするときには気をつけてみる事にします。ありがとうございました。


>のらさん
コメントありがとうございます。やはり診断には親の聞き取り調査が必要なんですね(笑)

私は、文章で書くときには内容を熟考できますが、リアルタイムに人と接しているときには発言内容をじっくり考えるゆとりがありません。そのために問題発言をしてしまうことが多いのかと思います。

あとは、電話で一度話した相手に「話し方がとても淡々としていて、感情に乏しい」と言われたことがあります。その方には表情もそうなんだろうと言われましたが、母には表情豊かだとは言われています。

でも、ゆっくり時間をかけて考えた文章と、ほとんど時間をかけずに話す内容とでは、やはり大きな隔たりがあると思います。書いた文章から受けるイメージには、読んだ本人の主観的なイメージが入ってしまうことがありますし、実際に会ったときとのギャップは発達障害者相手じゃなくてもあると思いますよ。
Posted by しろ at 2007年12月31日 18:02
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